以前書店でみつけて、ずっと気になっていた1冊。普通に図書館に入っていて、意外と図書館もつかえるんだと感心(@@) 2008.10発行。
ピックアップ
○「全ての問題は処理され、解決される」という幻想
○読書には、言葉そのものを読んでいく喜びがある
○ランキング、レビュー重視→みんなの指向を知りたいという強い願望=「クウキを読む」
○現社会の風潮 その場のクウキを読み、期待されたキャラを演じる
○クウキの恐ろしさ・・・正当、不当、正義、不義とは無関係に物事を進行させる
○『未必の故意』解説ドナルド・キーン
○言葉の共食い 一つの言葉が様々な意味を取り込み、多くの言葉を食ってしまう →言語感覚が大雑把になってきている
○日本は、通話よりメールが圧倒的に多い極めて特殊な国
○『この6つのおかげでヒトは進化した』早川書房
○身体から発せられる言葉は、情報量として換算するととても大きい
○自己が全く反映されない思考では心に響かない
○退屈は空想の発生装置 ぼんやりすることの大切さ
○『今日は死ぬのにもってこいの日』めるくまーる
○自分の言葉、考えをつかみとる 自分の思考、考えをスルーして簡単に手に入れた言葉は結局自分自身を助けることも救えることもない
○人は「考えぬく」という営みによってこそ自分の言葉を獲得し、自分の「生」をまっとうできる
・・・・
と、著者の「言葉」を書き連ねて納得の未熟な自分。。。(; ;)
思った以上に面白く、考えさせられる本でした!
(てっきり若い女性の著者のとっても軽い本だと思っていたのですが、著者は芥川賞の受賞歴もある中年の男性作家)
ここのところ、「空白」の時間、「隙間」時間について、インプットにあてないとそれは「無」の時間(無益な時間)になってしまうという強迫観念のようなものがありました。
移動時間や待ち時間では、耳も目もほぼインプットにあてています。(本もたいてい歩きながら読む)
しかし、決して、「無」ではないんだ、とこの本を読んで考えさせられました。「無」というのは、あくまでも外部からのインプットであって(それも厳密にいうと無ではないけれど、、、)、自分から発生する思考や空想、イメージ、アイデア・・そういったものは無限です。
ここのところ、そういったことを忘れていたかも。(@@
「空想」する時間がとても減っていたし、自分の感情や、なぜそういう気持ちをもったのかといったことを振り返り考える時間も減っていました。感情が、インプットする作業にすりかえられて無視されてしまう。
これからは、空白の時間を無の時間ととらえず、「考える」時間、「空想する」時間が与えられたのだと思って楽しもう。(それも強迫観念??;)
その点で言うと、自転車通勤はやっぱ優秀?イヤホンすらできないので必然的に自分発の時間を獲得しています。だから元気になるのかな。今週は雨でできず悲しい。
さらに、関係ないけど朝バタバタしていると鬱状態になることが判明。明日こそ早起きしよう(@@
朝寝坊→鬱→朝寝坊→鬱 のループを十数年繰り返している。。早起きを習慣化しなきゃ。。
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