道元「禅」の言葉―ゆっくり読む、ゆっくり生きる (知的生きかた文庫)
日本人でありながら、「禅」ってものをよく知らない自分。
なぜかここのところ、すごく興味が出てきたので、とても読みやすそうな本書から入ってみた。
本書は、道元の教えを、現代の簡単なことばになおして、さらにその意味を分かりやすく紹介しています。道元の著した『正法眼蔵』(全90余巻!)は相当難解らしく、このように噛み砕いて説明してくれる本というのはありがたいなと思いました。
ピックアップ・まとめ
道元(どうげん) 1200生-1253没 鎌倉時代
;曹洞宗を開山;『正法眼蔵(しょうぽうげんぞう)』著
;貴族の家に生まれる、両親共に幼いときに死別、13歳で出家(比叡山)、24歳で中国・宋へ
;26歳で天童山 如浄禅師に出会い、「仏とは、まさに日常生活の自分の中に生きていること」を発覚
・自分にないものを外に求めるから、苦しむ。仏は自分の中にいる
・自分の中にある尊さ(感じる心の素晴らしさなど)を、自分で発見する
・「無常」:いつまでも存在しないで、いつか必ず散る。いまこの一瞬、生きていることの素晴らしさ
・目標主義と我見を捨てる 未来よりも「いま」を生きる
・「座禅」 座って静かに思う・観る、なにを?→自分の呼吸、生きていること
・呼吸によって生かされている、ということを考える・意識する
・善悪の基準は時によって変わる=自分の考えに固執しない、「絶対に正しい」こととは、息が止まったままなら死ぬ、ということだけ
・「自意識」を捨てて、おおらかな「自然のこころ」で生きる
・「名前」 年をとるごとに、「名前」が自分だと錯覚してしまう。名前のない、自分そのもの を大事にする
・現在こうして生きている自分の生命が最善に尊いもの=仏性
・ 「考える」より「感じる」
・幸福を求めていろいろな考えを巡らし、目標を立て実行するより、まずは自分の生命の根本に感謝合掌することで、幸福が得られる=「無目的」の生き方
・「無目的」の生き方=今日自分がしようと思うこと、いま自分がしなくてはいけないことに没頭する
・「早く」学んだものは、「早く」忘れる、頭につけるのではなく、「身につける」
・「進歩」には勇気がいらないが、「退歩」には強大な勇気と工夫がいる
・人に譲る心をもつ
・・・
うーーん・・・・・・、「「無目的」の生き方」、、、これについて、かなり衝撃を受けています。
この目標至上主義?の現代において、「無目的」に生きること、それこそ「退歩」するように感じてしまう自分自身、現代に毒されている。
また、本書の中で印象に残ったことばがもうひとつ。「世の中は沼のようなところだ」、というもの。
世の中は沼のようなもので、歩いていくうちにズブズブと飲み込まれてしまい、そのうち、「世の中」しか見えなくなってしまう。
だから、その沼に飲み込まれず、自分自身の生命をよく見つめる、ということ。
しかしその沼の中にも、沼のドロにまみれて、喜びがあったり悲しみがあったりする。不条理な考えや苦しみやあざとさや裏切りや、いろいろあったりする。その中で生きることも、私自身は素晴らしいことと思う。。
人の世に生きている以上、お坊さんだってなんだって「世の中の沼」の中にいる。。どこにいても、自分自身をみつめることができることの大切さ。
ごちゃごちゃ書いてしまったけれど、結果的に「禅」の考えって、自分自身を見失いそうになる「現代」(それは過去もずっとそうだったのだと思うけど)の自分達にとって、とても必要なものではないかなと思いました。。
特に、感じる心というものは、大切にしたい。
いま生きていることは本当に「無常」で、いつ終わってしまうかわからないものだから、確かに、目標至上主義に陥らず、いま、感じていることを大切にしたい。
とても読みやすい、入り口には良い本でした。
ただ、「宇宙の生命」とかいうことばになんか慣れず、ちょっとひいてしまう自分もあり。
いずれにしても、「禅」、まだかなり理解が浅いので、折に触れて読んでみよう。
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